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【06月18日 柘植めぐみ】 |
テーマは「銀」とな。
なるほど、いぶし銀&シルバーグレイのおじさまについて書けってことね。
そう思ったものの、ネタがない(寺尾聰目当てでTVドラマ『CHANGE』は毎週欠かさず見ている。中村敦夫もステキ。かなり面白いドラマだと思う)
困ったので、まったく違う話――ちょっとした思い出話をしよう。
銀といえば、玉だ。
ああ、ワーウルフに致命傷を与えるやつね。
それは銀弾。
週刊少年ジャンプで連載してる漫画のこと?
それは銀魂。
そうじゃなくって、銀玉とはパチンコ玉のこと。
昔、パチンコ店を舞台にした短編を「妖魔夜行」で書かせていただいたのでお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、わたしはかつて、パチンコ店でアルバイトをしていた。いまでこそ、パチンコ店といえば若い女の子たちがかわいらしい制服を着て愛想を振りまいているが、当時、わたしたちのような女子学生ばかりを雇う店は珍しかった。女の子が多いから、と店に足を運んでくれるお客さんもけっこういた。
男のお客さんはやさしい。紙パックのジュースをおごってくれるのなんてしょっちゅうだし、元気のよさをほめてくれたり、髪を切ったことにも気づいてくれたり。
わたしは店の近所に住んでいたこともあり、出勤予定になくても、しばしば電話一本で呼び出され、せっせと働いた。上司たちからは「困ったときの柘植頼み」と言われるほどで、わたしはこの仕事がとても好きだった。
わたしが働いていた店は、女の子を率先して雇っていたように、とても革新的なところだった。社員やアルバイトを集めてパチンコとはまったく関係のないセミナーのようなものを行なったり、みんなで海水浴に行ったり、パーティーをしたり、いろんなことをした。
あるときから、系列店のあいだで社内報のようなものが始まった。その記念すべき第1号に、なんとわたしへのインタビューが載っている(「店員紹介」みたいな記事だった)。
ちょこっと仕事の話をしただけのものだが、最後に、「柘植さんの夢は、翻訳家になること。がんばって!」と書いてもらっている(よく覚えていないが、だいたいそんな内容)。
夢が叶いつつあるいま、あのがむしゃらな日々を与えてくれたアルバイト先にはとても感謝している。
若者よ、もっともっとアルバイトをしよう! アルバイトも、ひとつの社会に参加することだとわたしは思う。思いがけない出会いも、きっとあるはず(わたしがグループSNEに通いはじめたのも、最初はアルバイトだったっけ)。
同じインタビューのなかで、「ときどき一升ビンを抱えて眠っているらしい」と暴露されたのは、いまではよい思い出……。 |
【06月09日 大井雄紀】 |
――あた〜らしい〜あさがきた きぼぉ〜おのあさぁ〜が♪
「ちくしょう、今から寝るんだよ!」
最近、ラジオ体操の歌で眠りにつきます。大井雄紀です。(僕の家の近くで、毎朝聞こえてくるのです)
今月のエッセイのお題は「銀」だそうで……「銀」? そうか「銀」シャリか!?
という短絡的思考から、お米について書いていきます。
カップラーメンと並ぶ一人暮らしの男性の生命線と言ったらお米! 僕はこの説を信じています。
もちろん、一人暮らしをしている僕も例外ではありません。お米は重要です。
真においしいお米は、「米をおかずに米が食べられる」と本気で信じています。それほど大好きです。
さて、そんな僕のお米生活は主に実家から送られてくるお米で成り立っています。
知り合いの方が作っているお米を父がもらい、僕に送られてくるのです。お米をくれる人が馬坂さんという方なので、通称「馬メシ」と呼ばれています。
ですが、つい先日僕の部屋から「馬メシ」がなくなってしまったのです。
仕方ないので実家に緊急連絡。
僕「へい、マザー。馬メシを送ってくれないか?」
母『テメーに送る馬メシはねぇよ、ボーイ』
実に心温まる親子の会話の後、僕は泣きながら近所の米屋へと足を運びました。
近所の米屋は小さいながらも、様々なお米を販売しておりました。
僕は店内に足を踏み入れつつ、どのお米を買うかで心を躍らせておりました。
おじさん「いらっしゃい」
体格のゴツイおじさんが店内をうろつく僕に話しかけてきました。笑顔の似合うフレンドリーな感じの大変人のよさそうなおじさんです。
いちいち一つ一つの商品を値段と量を比較しながら見ている僕を心配してくださったのでしょう。
おじさん「どんな米がいいんだい?」
僕「米をおかずに米が食える米をください」
おじさん「……は?」
見詰め合う僕とおじさん。お互い「何を言えばいいんだ」という空気が流れ始めました。
おじさん「えっと……」
僕「つまり、うまい米をください、ということです」
おじさん「あぁ、なるほど。いつもはどんな銘柄の米を食べてるの?」
僕「馬メシです」
おじさん「……は?」
見詰め合う僕とおじさ――(以下略)
その後、なんとか事情を説明し「ひとめぼれ」10kgを購入した僕は、意気揚々と家に帰りました。
僕「これで、しばらくは戦える」
見下ろすお米の美しさに、僕はさっそく炊飯器を稼動させたものです。
それから数日後。
「宅配便でーす」
実家から「コシヒカリ」5kgが送られてきました。
なるほど、確かに「馬メシ」はないと言っていました。
だが……なんというフェイント!
現在、家に貯蔵されたお米約15kgをどうにかして消費して生活しております。 |
【06月06日 田邉彬子】 |
えっと、はじめまして、こんにちは。
新人の、田邉彬子と申します。
はじめまして、という言葉しか言えませんが、どうぞこれからよろしくお願いします。
今月のテーマは『銀』。
銀、と言われて思い浮かぶのは、数年前、友達に誕生日プレゼントに貰ったネックレス。
アクセサリーを眺めるのは好きだが、身に着けるのは嫌い、という私のために友達が買ってくれた物。
その贈り物のおかげで、私は自身の病気に気づき、綺麗な女医さんに会えました。そのお話をしたいと思います。
貰った次の日、貰い物だから、と朝出かけに着けて行きました。始めはなんともなかったのですが、昼頃にはなんだか首筋が赤くなり、痒くなってきました。
そのうち、我慢できないほど痒くなってきたのに、布で触れるだけで激痛がはしるようになり……
痒いのに掻いたら激痛がはしるって、地獄じゃん!
とか思いながら、赤くなった場所がなんだか紐で首を絞められた跡のようになっていたので、友達に「なぁ見てっ! 絞殺死体の真似できんでっ!」と報告しに行ったら、「アホか!」と殴られた後、ネックレスを没収され、病院まで強制連行されてしまいました。
皮膚科の綺麗な女医さんから告げられたのは、私が”金属アレルギー”だという事。
そしてどの金属にアレルギー反応がでるかを調べるため、パッチテストを受ける事に。
パッチテストとは、シールみたいな物を肌に貼りつけ、ニッケルやチタン等、身近にある金属にアレルギー反応がないかを調べる検査。
私は病院嫌いなので、テストを受ける事を躊躇しました。するとその様子を見ていた先生が、朗らかな口調で言ってきました。
「あらあら。ひょっとしてなんだか不安なのかな? 大丈夫よ。陽性がでちゃったら血が出るほど掻き毟りたくなるだけだから。でもテストだから、掻けないしねぇ」
「……先生、テスト受けさせる気、あります?」
「あらあらあら。ごめんなさいねぇ」
と、女医さんはコロコロと笑う。
この女医さんおもしろそうだなぁ、と思ったため、テストを受ける事にしました。
テストを受けて、病院を出て、六時間後、女医さんが言うように、血が出るほど掻き毟りたくなりましたよ。
くそぉ、なんだかあの先生の思うとおりになってて面白くない、と頑張って耐えました。
翌日、検査結果を教えてもらうため、女医さんの所に行きました。
「あら。三種類陽性になってるわねぇ。あらあら、コンクリートに含まれてる金属もダメなのねぇ。だから建築現場で作業員できないわよ。残念ねぇ」
「いやぁ、一応女の子なんで。建設作業員はあまりないかと」
「あらあらあら。かわいらしい建設作業員さん、っていいじゃない。やってみない?」
「いやぁ、遠慮しときます」
「えぇ〜……ダメ?」
う。上目づかいがかわいい。
女の私でもかわいいと思う。だが、ここで頷いてしまえば、この女医さん、本当に建設現場のバイト探してきそうなので、必死に拒否し続けました。
その後、アレルギー反応が現れた金属の説明を受け、病院を出ました。
病院は嫌いだけど、またあの女医さんには会いたいなぁ〜、と、思いながら。
後日。
私は眼鏡を買いに、眼鏡屋さんに行きました。
眼鏡屋さんに入ってすぐ、あるフレームが目に飛び込んできました。
これが欲しい。だけど、どうみても金属製。素材は……チタン。
よし、大丈夫! 陰性だったはず! と眼鏡屋さんに入って一分で眼鏡を決めました。
できあがった眼鏡をかけて二時間後、耳の辺りがなんだか痒くなってきました。そして赤く腫れ上がり……。
六時間後、耳を真っ赤に腫らした私はまた友達に怒られる事になり、そして思ったよりも早くあの女医さんに再会する事になりました。 |
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