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【10月31日 田中公侍】 |
「宇宙を飛ぶ紙」
小学生だった頃、折り紙で紙ヒコーキを折るのが得意だった。
入学したのとほぼ同時期に「よくとぶかみひこうき」なる本を購入してもらい、熟読したためである。
その本には60種類くらいの紙ヒコーキの折りかたが書かれていたが、当時はその全てを覚えていた。
家中の紙やチラシ、ノートを破って紙ヒコーキを折っていたから、かなり上達した。
滞空時間10秒位のものなら、今でもつくれるかもしれない。現在は、もう3種類くらいしか覚えてないけど。
ちなみに、世界記録は27.6秒だそうな。室内で。
うーん。別次元だな。
それだけ熱心になっていた紙ヒコーキ製作だったけど、夏を迎える頃にはまったくやらなくなっていた。
飽きたのではなく、体質によるもの。つまり、手に汗をかくから。
緊張しているときや熱いときは、手のひらから水滴が滴るくらい汗をかいてしまう。
今もそう。おかげで、自宅のキーボードは文字が消えてよいブラインドタッチの練習用になった。
さておき。
つまり、精緻な紙ヒコーキ作成の作業中に、自らの汗でヨレを作ってしまうのだ。
その頃にはいっぱしの紙ヒコーキ職人気取りだったので、この事態には自分の限界を感じた。
「俺の手は、紙ヒコーキには向いていない」
と、絶望したわけじゃないけど。まぁ、紙ヒコーキへの熱が冷めてしまったのだ。
飽きてるじゃん。
紙ヒコーキは、今年の頭にちょっと話題になった。
宇宙から紙ヒコーキを飛ばし、大気圏突入させることができる、という。
紙の強度は牛乳パック程度。速度はマッハ7に及ぶらしい。
まだ実験中だそうだが、本当にできたら、なんだかすごく嬉しい。
ザクでも無理だったもんね。 |
【10月20日 秋口ぎぐる】 |
発言を「とちる」ことを指して「噛む」と呼称するが、この文化を定着させたのは間違いなくお笑い芸人であろう。
それはさておき、どうもここ数年、おれは他人の「噛み」や「言いまちがい」に対して過敏になっているような気がする。思わず心の中でツッコミを入れてしまう。場合によっては赤の他人の発言であるにもかかわらず、声に出して「噛み噛みやん!」だとか「逆!」だとか言ってしまったりする。
たとえばこんな感じだ。
先日、会社帰りにふと「鶏肉が食べたい」と思った。そこで伊勢丹の地下食料品売り場へと向かい、鶏肉売り場で「カワなしモモ肉」を1枚だけ選んだ。
料金を支払うとき、店の中年女性が言った。
「モモなしカワ肉、おまちどうさまです」
「それカワじゃないですか」
気まずい沈黙が流れた。
中年女性は我に返り、ひきつった笑みを浮かべ、「ごめんなさい、カワなしモモ肉、おまちどうさまです」と言いなおした。
おれは申しわけない気持ちでいっぱいになりつつ、「ありがとう」と言って商品を受けとり、その場を後にしたのだった。
気をつけねば……。 |
【10月17日 笠井道子】 |
今月のテーマは「かみ」だそうで。
以前にも書きましたが、わたくし、柄にもなく某カソリック系女子校出身です。高校卒業まで欠かさず、正門や校舎のホールに据えられたマリア像に向かって「おはようございます」「さようなら」とあいさつしてました。小学校3年以来しみついた習慣というのは怖ろしい――というのではなく、ときどき自分の行動に疑問をもつことを忘れてしまうんです、わたし。いま考えれば、同級生たちは中学校に上がったあたりから、だれもそんなことしてませんでした。
まあ、同じ話をくり返すのはここまでにして、しかし「かみ」ねえ……
ちなみに、紙で手を切ると傷口のわりにけっこう痛くないですか。そうそう、逆むけとか靴ずれなんかも、意外に痛いですよね。
こんなとき、たいていの方はガーゼ付き絆創膏を利用されると思います。
でも、わたしのお薦めは「○ロスキン」という塗り薬。
セメダインに似た、チューブ入りの透明の液状で、においもそっくりです。
これをちょっと塗りつければ、薬液が乾いて傷口を保護してくれるのです。
なんと、水を使っても剥がれないという優れものですよ。
しかし、これには大きな罠があります。
傷口に塗ると、しみます。すごく痛いです。
……
……
……
この痛みがね、そのう、なんつぅか、たまらなく気持ちいいんです。
さらに、水を使っても大丈夫という触れ込みですが、さすがに乾いた薬液の縁のほうがほんのちょっとふやけてきます。
そうなると、ついメリメリと剥がしたくなります。カサブタを剥がす感じです。
この剥がすときの痛みもまた、たまらなくいいんです。
おまけに、においはセメダイン、痛覚・嗅覚両面から攻めてくるんですね、「コ○スキン」。
結構お値段は張りますが、わたしは塗っては剥がし塗っては剥がしをくり返し、あっというまに一本使いきってしまいます。
でも、大枚はたくだけの価値ありますよ、これ。
――という話を事務所でしたら、みんなから「気持ちの悪いものを見る目」で見られてしまったんですけれど。
なぜ……?
しかし、どんなことにも理解者というのはいるもので。
わたしの話を聞きながら、「それ、わかる!」と叫んだのは秋口ぎぐる。
それどころか、ぎぐるさんは日本橋でわざわざ「コロ○キン」のストラップを買って、携帯につけてます。
どんだけ好きやねん――でも、お値段100円だそうで、それならわたしもほしいです。
以来、ぎぐるさんとわたしは「SNE二大Mっ子」と見られているような気がしてなりません。
みなさんのなかに「コロスキ○最高!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。
みんなで「Mっ子同盟」作りましょう! あ、いやですか、そりゃそうですね……すみません、わたしは遠慮します。 |
【10月08日 北沢慶】 |
久々にエッセイに登場です、北沢です。
今回のお題は「かみ」ということで、少々悩んでしまいました。素直に考えれば「神」なんですが、北沢は仏教徒なのであんまり神様と縁がありません。
そこでいろんな「かみ」について考えてみた結果、思いついたのが京都の地名についてでした。
北沢は、中学3年生の終わり頃から京都在住です。母方の実家が京都で、生家も京都なので、京都は故郷ということになりますね。
ですが15歳で引っ越してきたときは、地名や京都市内を歩くときに耳にする言い回しに慣れるのに、多少時間がかかったのを覚えています。
その原因は、碁盤目になっている街の構造と、住所の作り方によるものが大きいのではないでしょうか。
年賀状をくれる人などから、「京都の住所って変わってますよね」とよく言われます。具体的に例を挙げてみると、こんな感じです。
○京都市上京区役所
京都市上京区今出川通室町西入堀出シ町289
これを見ると、京都の人間はだいたい「ああ、あのへんか」というのがわかります。
京都の通りには、すべて「通り名」がついています。住所は、この東西と南北の通り名を組み合わせたものになっているんですね。
なので上記の上京区役所の場合だと、「今出川通(いまでがわどおり・東西)」と「室町(むろまち・南北)」の交わるあたりにあることがわかります。
そして最後の「西入(にしいる)」を見れば、上記の交差点から西に向かえば上京区役所に行くことができるわけですね。
ちなみに最後の方角には、「東入(ひがしいる)」「上ル(あがる)」「下ル(さがる)」などがあり、それぞれ東西南北に対応しています。
で、ここでなぜ「かみ」かというと。
京都では北方向に行くことを「あがる」、南に行くことを「さがる」と言い、北方向のことを「上(かみ)」と呼びます。先の例の「上京区」も、「かみぎょうく」と読みます。発音は、「噛み」に近いかな?
なので京都の人間と住所について話をしていると、「ウチの家、京都のカミのほうでさ」とか「大丸よりもうちょいカミにね……」といったような言葉が出てくるのです。北沢もいつの間にか使っていて、京都外から来た友達などを混乱させたことがあります(苦笑)。
他にも道を聞いたら「次の角をカミのほうへアガって」とか言われて混乱することもあるんじゃないでしょうか。つまり「次の交差点を北方向へ曲がれ」ってことなんですが。わかんないよねぇ(苦笑)。
ちなみに7ケタ便番号になってから、郵便番号と町名だけで郵便物は届くようになりました。なので最近は楽だから省略して通り名を書かなくなりつつあります(上記の例だと、「上京区掘出シ町」です)。
ですが京都の人間に場所を聞くとき、町名を言ってもさっぱり通用しません。
だって、普段使わないから。
それどころか、同じ町名が複数あったりするし。
なので京都市内で道を聞くときは、「今出川通・室町に行きたいんですけど」などと聞くと、多くの場合一発で「ああ、そこなら」と話が通ります。タクシーも同様。
京都市内観光の際にでも、どうぞお試しください。 |
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