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【10年06月03日 森本有美】 |
5月エッセイの〆切りを、3日破ってこんにちは。
今年の森本は病の卦に憑かれているのかよく体調を崩してるのですが、読者の皆さまは健やかにお過ごしでしょうか?
それにしても不調の原因がよくわかりません。一人暮らしを始めた3年前以降に生活が大きく変わったということはないし、不摂生だって……最近はちょっとしかしてないのに、一体何が悪いのか?
……今年が本厄なのに去年も今年も厄払いをサボっているのがいけないのでしょうか?
それはさておき、調子を崩している時というのは感覚がズレる気がします。
なんとなく自分のまわりにぴったりと薄い膜ができたみたいな、いつもより何もかもが微妙に、ほんとにちょっとのことなんですが微妙〜に遠のくようなぼやけるような……そんな感じと言ってわかっていただけるでしょうか?
この感覚のズレは、自分の不調を自覚できていれば問題ありません。
「いつもと違う」ことにも気付いて様々なことに対して慎重になれるから。
けれど不調の自覚がないと感覚のズレにも気付かず「いつも通り」のつもりで何の対策も講じず普通に過ごします。
でも実際は感覚がズレている分、齟齬が起こっている。そしてその齟齬は、おおいなる悲劇を生むことになります。
机の角に足の小指を強かぶつける
のような悲劇を。
ちゃうねんで。
わたしがうっかりさんやからぶつけたりするんとちゃうねんで。
体の一部を何かにぶつけるのって、体の末端のどこかということが多くないですか?
あるいは通過できると思った壁や物の間で体当たりしちゃう、とか。
それは「いつも通り」対象物との距離をじゅうぶんとった「つもり」で実際はきちんと距離をとれていないせいです。
正常な視力のある人は、自分と他との距離を主に目で見てはかっていると思います。
視覚に捉えた情報を判断するのは脳です。
脳が目から送られてくる情報を正しく判断することで、人は物を3次元の立体として見たり物との距離をはかることができますが、感覚がズレれば判断もズレることになる、というわけです。きっとそうなのです。そういうことにしておきます。わたしがうっかりではないと主張するために。
さて、読者の皆さまはいかがでしょうか?
なんとなく思い当たるな、もしかするとそうなのかも、と思った方はどうぞ日々お気をつけて。最近よくいろんな物にぶつかるな、なんて思ったらあまり無理せず、ゆっくり休息をとってください。
ま、もしかすると単に目に何か異常があって見え方がおかしくなっている、という可能性もあるでしょうから、その場合は目医者さんできちんと診てもらってくださいね。
……。
え? 5月のお題「3D」について何にも語ってないじゃないかって?
いえいえ、このエッセイそのものがお題です。
3日 Deadline(〆切り) 破り ということで。
……うぅ、申し訳ありません、次からは〆切3日前まで、を厳守します。 |
【10年05月31日 北沢慶】 |
今回のお題は 3D。
このお題を聞いたときに、真っ先に思い出したのが 『3DO Real』
というゲーム機でした(笑)。
このゲーム機の名前を覚えている人は、ちょっとしたゲームマニアでしょうね。1994年に、日本では松下電器(現パナソニック)
から発売された、ゲームハードです。
といっても、売り出した側はこれをゲーム機と呼ばず、「インタラクティブ・マルチプレイヤー」
と呼んでいたようですが。
この1994年ごろがどんな年だったかというと、CD−ROMを標準搭載した32bit機の名機であり、ソニーVSセガのハード戦争でもよく知られている、「プレイステーション」
と 「セガサターン」 が発売された年でもあります。
「3DO」 は、この有名な2大ハードの約半年前に発売されたマシンでした。
当時僕の父親が松下に勤めていて、バブル崩壊がついに決定的になり始めた94年初頭。管理職だったオヤジのボーナスは削減が確定。その代わり現物支給が行われることになりました。
そこで家族会議が開かれ、「なにがほしい?」 という話になったのです。
そこで僕が提案したのが、「3DOくれ」 というものでした。
当時はまだまだスーファミ全盛期。そこに鳴り物入りで登場したすごいスペックの新ハード。今も昔もゲーム大好き人間だった僕は、3Dもグリグリ動く、次世代のハードに当然注目していたのです。
ところが発売発表当時、「3DO」 の価格は約 8万円
。その後発売直前に 54,800円 に値下げされたものの、貧乏大学生には高嶺の花でした。
ところが、日本での販売元はオヤジの勤める会社である松下!
ということで、ダメもとで言ってみたら、本当に我が家にやってきたのです(笑)。
案外最初は品薄だったのか、発売日を過ぎてもなかなか届かなくて、結構ジリジリした記憶がありますが。
さて、この 「3DO」 というハード、結果から言うと大変残念なことになりました。みなさんの中で、覚えている人がほとんどいないというのがなによりの証拠です。
「価格が高い」
「キラータイトルがない」 「スペックもいまいち」
と見るべきところがまるでないのだから、当然の結果でしょう。後発の 「プレイステーション」
と 「セガサターン」 のできがよすぎたのもありますが、なくてもたぶん普及しなかったと思います(苦笑)。
でも僕は結構、この機械で遊びました。
まず、最初に買ったのが 「鉄人」
という3Dの主観視点シューティング。目が覚めたら島田久作(扮するマッドサイエンティスト)に改造され、ウィザードリィばりのダンジョンを50階も上らされるという、いまから思えばマゾいゲームでしたが(笑)、3Dのダンジョンがグリグリ動く感じや、曲がり角からそっと奥を覗く感覚などは、非常に未来や次世代を感じさせてくれたものです。
それから、いまなら 「メタルギアソリッド」 シリーズで有名な小島監督の作品である、「ポリスノーツ」
というゲームも堪能しました。これが欲しくて 「3DO」 を買った友人もいるほど。
そして、なんといっても 「Dの食卓」
でしょう。
僕は正直たいしてハマらなかったんですが、これのおかげで一時的に
「3DO」 ユーザーがどっと増えたものです。
なにかと能動的にゲーム内世界に関わっていくのがTVゲームの常識だったのに、この
「Dの食卓」 はまるで映画を見ているような感覚でプレイヤー置き去り気味に進んでいくのが斬新でした。グラフィックがオール3DCGだったのも、新しい時代を感じさせる大きな点だったのではないでしょうか。
「映画的手法」
や 「映画的カメラアングル」 「映像作品としてのゲーム」
「クイックタイムイベント」 など、いま思えば、この
「Dの食卓」 は後のゲームに結構影響を与えていることに気づきます。
SNE的には無視できないのが、「ゴーストハンター」
シリーズのTVゲーム化作品、『黒き死の仮面』
。これも3DOから発売されていました。
実写映像でゲームを作るというところにも、スーファミ以前には不可能だった映像表現の進歩を感じて、スゲーと思ったものです。
ちょうどこのころ僕はSNEに入ったのですが、実写ゾンビの中の人が、友野詳や柘植めぐみだと聞いて驚いたのもよい思い出。
でも会社にソフトがあるから借りてプレイしようと思っていたのに、なぜか未プレイです。なんでだろう……?
あとは、もはや 「3DO」 最後の花火となった 「スーパーストリートファイターUX」
ですね。
当時コンシューマ化が待望されつつも、なかなか家庭用ゲーム機に移植されなかった本作が、なぜか
「3DO」 にだけ移植され、対戦格闘ゲームファンから 「なんでやねん!」
の声が飛び交っていたのをいまでも覚えています(苦笑)。
これも、専用コントローラーのボタンが5つしかない 「3DO」
には不向きなゲームでしたが(ストUシリーズはボタン6個が基本)、それでも
「3DO」 でしかできない! という優越感は、当時の 「3DO」
ユーザーを多いに奮い立たせたものです。
しかしやがては他のハードにも移植され、そんな祭りも終演を迎え……いずれ誰に知られることもなく、ひっそりとその役目を終えて消えていきました。
その後、SNEの社内ボーリング大会で 「1000円ぐらいの景品を持ち寄る。家庭内にあるものを景品に出してもよい」
という話になったときに、我が家の 「3DO」 も全ソフト、全周辺機器と共に景品に出されました。
次の年のボーリング大会から、「不要なゴミを景品に出さないこと」
という注釈が加えられるようになったんですがね!
不要なゴミちゃうわ!
うわぁぁぁぁんっ。
久々に 「ポリスノーツ」
とかやりたいなぁ。
P.S.ちゃんと調べたら、「スパUX」
より 「ポリスノーツ」
のほうが後に発売されてました(笑)。他にも 「スーパーリアル麻雀PW・PV」
とか 「卒業U」
とか懐かしいタイトルも! 結構遊んでたんだなぁ。
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【10年05月14日 河野裕】 |
◆コードネーム「3D」作戦に関する概要
コードネーム「3D」作戦とは、いうまでもなく「閉店30分前のダイエーに賭けろ!」作戦のことであり、素晴らしい夕食をいかに格安で手に入れるのかを追求する、生死を掛けた戦いです。
3Dという言葉は30分前のダイエーを指すと同時に、私たちの3つの理念、すなわち「ディスカウント、ダイレクト、ドリーム」を現す言葉でもあります。
◆ディスカウント
とにかく安い値段で夕食を購入する、ということが、3D作戦の主な目標になります。「なぜ閉店30分前なんだ? 半額の弁当なら閉店2時間前、あるいは3時間前から並んでいるだろう」と思われる方もいるかもしれません。が、閉店30分前は、値引きという意味において、稀に奇跡が起こるのです。
私がよく行くダイエーでは、半額を下回る商品には、直接値段が書き込まれたシールが張られます。場合によっては1000円を超える刺身の盛り合わせに、「300円」シールが張られることすらあるのです!
リスクを負いながら、最良を目指す精神。それが3D作戦には込められています。
◆ダイレクト
3D作戦において購入する食べ物は、ダイレクトに食べられる物であることが望ましいとされています。切ったり焼いたり味付けしたりといった要素の必要ない、気楽な食べ物。3D作戦とは、自炊したくないずぼらな人間のための作戦でもあるのです。
ダイレクトな食べ物とその特徴は、主に以下の通りです。
〈弁当類〉
弁当、あるいはパック寿司などのカテゴリーです。閉店30分前まで売れ残っていればほぼ確実に半額になっていますが、もうすでに1つもない可能性も多々あるため、必ず買えると信じて行動するのは愚かです。
あくまで選択肢の1つとして組み込みながら、より広い視野を持って3D作戦に臨みましょう。
〈惣菜類〉
揚げ物、中華が主流を占める惣菜類です。こちらも半額になっている可能性が高い商品ですが、日持ちする惣菜の場合、ごく微量の値引き(5%程度)に留まっている場合もあるため、注意が必要です。
上記「弁当類」との最大の違いは、主食であるご飯がついていないことです。よって惣菜類を購入する場合、家を出る前にご飯を炊いておく必要があります。
弁当に賭けて炊飯ジャーが空のまま作戦に挑むのか、それとも惣菜を狙いご飯を炊きつつダイエーに向かうのかの判断が、3D作戦の醍醐味ともいえます。
〈刺身類〉
上記「惣菜類」とほぼ同じ流れにあるのが、この「刺身類」です。
すでに切れている刺身と、短冊状の刺身で、商品の性質がまったく異なります。ダイレクトに食べられることを優先してすでに切れているものを選ぶか、コストパフォーマンスを重視して短冊状を選ぶかで意見が分かれるところです。
また、短冊状の刺身には、醤油がついていないことが大半です。自宅に醤油があるのか、確認を怠らないようにしましょう。場合によっては、刺身と熱々のご飯を目の前にして、コンビニまで醤油を買いに走ることになります(経験談)。
〈パン類〉
3D作戦においてパン類の購入は、敗北の証とされます。
上記商品を手に入れられなかった者たちが最後に向かう場所、それが惣菜パンコーナーです。
場合によっては値引きされていないこともあり、敗北感を一層引き立てます。
◆ドリーム
なぜ閉店30分前にダイエーを目指すのか? それは、そこに夢があるからです。夢とは希望であり、可能性であり、まだ訪れない最良の未来(夕食)です。
心に夢を持つこと。3D作戦に臨むのであれば、それだけは忘れてはなりません。
以上が、コードネーム「3D」作戦です。
面白がって書き始めてみたけれど、ドリームは無理あるなー。もうちょっと説得力が欲しいところです。
ところで私の家からダイエーまで、まっすぐ向かうとラブホテル街を突っ切ることになるのですが、そういうホテルって外壁に、色々と設備を書いた看板を取り付けてるんですよね。「液晶TV&DVDプレイヤーあります」「空気清浄機あります」的な。
で、その中に「一人紅白歌合戦」ってあって、見る度になんか笑ってしまいます。たぶんカラオケ的な何かなのだと思いますが、そこはせめて「二人紅白歌合戦」にして欲しいところです。男女二人で行くことを目的にした場所なんだから。
それではまたー。 |
【10年05月11日 ベーテ・有理・黒崎】 |
どうも、皆さんおひさしぶりです。
この場では半年ぶり位でしょうか、ベーテ・有理・黒崎です。
僕がTRPGを遊ぶようになって七、八年近く経ちました。
その中で、僕なりに感じ取ったTRPGのエッセンスを、三つのDで表したいと思います。
――DEATH/死
いきなりコレか、と思われるかもしれませんが、TRPGにおいての死の扱いというのは、様々なゲームの中でもかなり特殊な部類ではないかと僕は思うのです。
ゲーム的に考えると、生(ライフ) とはリソースです。 死(デス)
とはそのリソースが減るか、なくなることを表します。
しかし、別の世界に生きる人物を生み出し、その人生を演ずるTRPGでは(程度の差はあれど)生は単なるリソースではなくなりますし、死もまた他のゲームとは一線を隔したものになります。
衝撃が――喪失感が違うのです。
無論、物語的に 「上手く死ねた」 「美しく死ねた」 ということもありますし、そもそも
「死ぬのを楽しむ」 タイプのシステムもあります。が、それでも他のゲームとは感覚が違うと僕は思うのです。
また、GMにとってみれば操る数々の可愛いモンスターや敵キャラ達は物語を勧めるために死ぬことがほぼ確定している存在です。
その死は、重大なもの以外は基本的に記号的です。
それでも、その無数の死はプレイヤーキャラクター達の物語を紡ぐ上で重要なものなのだと、僕は思っています。
「ゲームに勝つ」 のではなく、「物語の世界を擬似的に経験する」 というTRPGの目的の特異性が、最も強く現れる要素の一つが、「死」
なのだと思うのです。
――DESTINY/運命
僕は運命論者ではありません。というよりは、そういった言説を嫌う傾向が強い位です。ですが、TRPGを遊んでいると、時たま大きなうねりの様なモノを感じる時があります。
そもそも、TRPGにおいては 「シナリオ」 というある程度決まった運命といえるものが存在します。
ですが、プレイヤー達はそれを知らず、そして必ずしも完全に従う必要すらありません。
ある程度折り合いはつけないとゲームになりませんが、事実その 「予想しきれない」
所にこそTRPGの楽しさの妙があるのだと思います。
ですが、それとはまた別に、TRPGを遊んでいて、それまで取ってきた行動や、様々な設定、データ、そしてダイスの出目などといったランダムな要素が全てカチリと噛み合い、所謂
「これはできすぎだろう」 といった状況が、奇しくも目の前に展開されていく……そんなことがTRPGを遊んでいると、往々として実際に起きます。
そして、そういった状況こそが、僕にとってTRPGを遊んでいて一番楽しい瞬間です。
予めそう決まっているからそうなる、のではないのです。
卓の皆の尽力があるからこそ、そこに偶然が味方するのです。
謂わば、TRPGとは運命を紡ぐゲームなのです!
……言い過ぎですかね?(苦笑)
――DICE/骰子
TRPGを象徴する物を挙げよと言われれば、多くの人がダイス(サイコロ)
と答えるのではないでしょうか?
無論、サイコロを使わないシステムも幾つかもあります。
ですが、TRPGがゲームとして機能するのに、乱数発生装置(ランダマイザー)
は必須です。
何かが成功するかしないか。これを人の判断に委ねると恣意的になりすぎて、ゲームとは呼べなくなってきます。
ランダム性があるからこそ、必ず成功するとも失敗するとも言い切れないからこそ、成功すると嬉しいし、失敗すると悔しいですが、理不尽ではないのです。
謂わば、TRPGをゲームたらしめているのが、乱数発生装置なのです。
この乱数発生装置は、基本的にはダイスとカードの二種類があります(世の中にはルーレットで遊ぶTRPGもあるらしいですが、僕はやったことがありません)
。
その中でも今現在主流なのがダイスです。個人的に僕が好きなのも、こっちです。理由は特に無く、引くよりも振るという行為が楽しいのでしょう。
余談ですが、僕が個人的に好きダイスは十二面体(d12) で、あの適度にでこぼこした丸っぽい形状が好きなのですが……如何せんマイナーであまり使われません(苦笑)。
TRPGのエッセンスを表す三つのD、いかがだったでしょうか?
この三つ、即ち 死(デス)、運命(デスティニー)、骰子(ダイス) が合わさってこそ、素晴らしい物語(ドラマ)が生まれるのだと、僕は思うのです。
無論、これはあくまでも僕個人のTRPG観ですし、絶対の正解でも真実でもありません。
これを読んで、何か感じる所があれば嬉しいです。
では、
May our parting be swift and brief! Until next
time, see ya!
P.S.
所で、思ったのですが 『 死の運命の骰子(デスディスティニーダイス) 』 って何だかかっこいい響きがありますね……その内セッションで使ってみようかな?(笑) |
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