Group SNE
News
About SNE

Products

User Contents
  ●著者インタビュー
●イベントレポート
●リーダーズサーカス
●エッセイ
●TRPGリプレイ
Link
indexに戻る
TOP > ユーザーコンテンツ > エッセイ > 日々つれづれ
←エッセイ目次


日々つれづれ 10年06月
テーマ 「 たび 」

【10年06月23日 秋田みやび】

 たび ですか。
 困るんですよね。
 すぐに書くことが思いつかないお題って。

 え。ボスの出したタイトル案ですか?
 素晴らしい! 様々に思案を重ねて、その末に辿りつく凝縮された文字列、エッセイ。それは思考の旅。まさしく、今回のテーマに相応しい!
 
 ……というわけで、世の中の渡り方も学び、すっかりと薄汚れてしまった秋田みやびです。
 
 今回のエッセイのために、逃避……ではなく、素材を探すために
に出ようと思います。

 
 秋田は夜中にふらっと動物ウォッチングに出て行きます。
 明け方前くらいがベストです。
 その薄暗く明けようとする時間帯は、野良にゃんこたちの天国です。
 いつもは、そっけなく顔を見て逃げていく猫たちも、塀の上から、じぃっとこちらを不思議そうに見返してくれます。
 長く彼らを観察するコツは、なるべく視線を合わさずに、時々顔を背けて見返すこと。
 そうすれば、最近のお気に入りの長毛の三毛猫さんなど、夜明け前なら全身を毛玉のようにして挑みかかってきます。
 フシャーッという呼吸音の勇ましいこと……。
 嫌われてる? ……そ、そんなことはない、はず。
 運がよければ、ごみステーションでの、カラスVSにゃんこーずの異種格闘技戦も見られます。

 おっと。
 今回はエッセイのネタ探しのはずでした。
 たびです。たび
 そうなれば、
足袋を履いた猫を探しに行くのが無難なはず。
 よし! さがすか!

 ……最近縄張り争いに勝ったらしく大きな顔をしている茶トラのふっくらくんは、片足が白い足袋を履いています。
 そして、近所の駐車場のボンネットでよく寝てる(最近は暑いので地べたが多い)灰色君は両方が白い足袋。
 彼らにネタを提供してもらおうかとふらふらと探し回ったのですが、時間帯があわないのか空振り。
 公園で猫会議してるにゃんこたちの中に足袋柄はいないものか。
 そして、あまつさえネタを提供してはくれないだろうか……。
 そんなことを考えながら、完全に夜が明けるまで彷徨いましたが、今回は足袋にゃんこには遭遇できませんでした。
 暑いから昼間に探すのは嫌なんですよねー。
 
 しょうがない出直すか。
 部屋に帰って、少し休もうと……玄関を開けると。

「うにゃーう」

 浮気を責める奥さんのように不機嫌に、廊下で上目遣いに見上げてくる黒にゃんこが一匹。
 我が家の飼い猫、 嵐 。 特技はバックスペースタッチによる原稿消し。

 よく見ると……前足が両方ともうっすら白い。

 ……っていうか、
洗面所に通じる廊下あたりから一面白い。
 貴様、洗濯用洗剤の箱をイタズラしてぶちまけたのか!
 何で足袋を履いてるのかと、一瞬こちらの頭まで真っ白になったじゃないか!

 教訓。
「青い鳥と白い足袋の猫はすぐ傍にいる」ではなく「洗剤の置き場所には気をつけましょう」



 
 あ。嵐は特に体調不良等は起こしませんでした。が。すぐに風呂に入れたので、ものすごい勢いで拗ねました。



【10年06月15日 川人忠明】
「今月のテーマは たび だそうですよ」
 おおー、そうか。
 まあ、人間。みんな、最後は灰になって消えるっちゅうこっちゃな。うんうん。
「? ……ああ、荼毘ですね。違います」
 えっ、違うの?
 じゃあ、もしかして、袋状のパスタに肉や野菜やチーズなんかを詰め込んだイタリア料理?
「それは、ラビオリ! 全然、違います。ていうか、字数も合ってないし」
 ジオン公国に栄光あれーーーーーーっ!!
「それは、ガルマ・ザビでしょっ! もはや、原型が想像すらつきませんよ! どうせ、ボケるなら、もっとわかりやすくボケてください」
 そろそろ梅雨ですね〜。じめじめしてきますから、お気をつけて下さい。
 みたいな感じ?
「……えーと、もしかして。カビ?
 そうそう(≧∀≦)♪
「…………どうでもいいですが、そろそろ本題に入ってください。すでに、かなりの行数を無駄にしています」
 む、無駄orz ひ、ひどいわぁ(ノД`)・゜・。゜
「はいはい。泣かない泣かない。さっさとの話をしてください」
 う、うう……た、旅かあ〜〜。
 旅と言えば、 『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』 って感じかな。
「松尾芭蕉の 『奥の細道』 ですね」
 思えば、昔の人はよく旅をしてたんだね。しかも徒歩で!
 出不精の私には、とても信じられないことだがな。
「江戸時代には、一生に一度は伊勢参りを、みたいな風潮のときもあったみたいですね。子供が、お金を持たずに行く先々で路銀を稼いだりしながら伊勢参りをして、それが大人になる儀式みたいな役割を果たしていたりもしたそうですよ」
 うむ。 『かわいい子には旅をさせろ』 というが、昔の子供は自分で勝手に旅立っていたんだな。
 まあ、むろん、そのまま帰ってこないなんて場合も、わりとあったんじゃないかと思うが。
「そうですね〜。旅に危険はつきものですからね」
 うむうむ。トラベルには、トラブルがつきものというわけだな( ̄ー ̄)ニヤリッ
「古典的なダジャレで、そんな 『してやったり』 みたいな顔しないでください」
 ああ〜。ちなみに、私は旅行に行くなら、コリン星に行きたいな。
「コリン星? ……千葉ですか?」
 ううん。ほら、コリンって漢字で書くと……
「コリンを漢字で? …………『湖林』?
 いやいや、 『虎鈴』
 すなわち、トラとベル! トラベル!!
………やっぱ、ダジャレΣ( ̄□ ̄lll)

 てなわけで、みなさんも旅行の際には充分にお気をつけ下さい。
 もうすぐ、夏休みもやってきますしね。
「芭蕉も『古人も多く旅に死せるあり』とか書いてますからね」
 うんうん。実際、芭蕉が亡くなったのも、旅の途中だったからな。まあ、昔といまじゃあ、治安とか、もしものときの医療体制とか、全然違うから同列に扱うのはあまり意味がないことかもしれないが。
「ですね。でも、特に海外なんかのお出かけの際には、外務省提供の海外渡航情報などをチェックしておきましょう!」
 というところで、今月の徳島センスだ。

今月の徳島センス:
旅行前には、ちゃんと渡航先のことを調べとこう〜。


 ばんざーーーーい!!
「なんか、無理やりですね……」
 無理やりだな……。
 あっ、ちなみに芭蕉さんの辞世の句は、 『旅に病んで夢は枯れ野を駆け巡る』 だぞ。
「臨終を間近にして、さらによい作品にしようと推敲してたらしいですよ。だれかにも見習ってほしいですね」
 ええ〜〜と……だ、だれのことかなあ〜〜(−ε−;)


【10年06月10日 加藤ヒロノリ】

今月のテーマは 「たび」 らしいです。
キーワードを聞いてから、なんにしようかといつも考えながら書いてるんですが、今回はズバリ、最初から
足袋 でいくことにします。

もっとも足袋なんてもの履いたことあるのは七五三のときくらいな気がするので、まったく馴染みがありません。そこでまずは毎度おなじみウィキペディア先生からの抜粋です。


足 袋

出典: フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』

足袋(たび)とは日本固有の伝統的な衣類で、足に履く一種の下着である。木綿の布でできたものが一般的。日本の伝統的な履物である草履・下駄・雪駄などを履く際に用いるため、親指と人差し指の部分で袋が2つに分かれている(叉割れ)。
丈夫な生地で作られた本体にゴム底を貼り付け、直接屋外で履く事ができるようにした地下足袋(じかたび)と呼ばれる足袋もある。
現在、日本で生産されている足袋の約80%が埼玉県行田市で製造されている。これは17世紀の初期頃から藩財政を助けるための産業として足袋の生産が奨励されたことに起源をもつ。他生産地は四国徳島県が有名。



なんかいっぱい漢字書いてあるんで読むのめんどくさいっすな。でもそんな加藤でも反応できる文字がありました! それは――



足に履く一種の下着である。



下着の一種である。




下着の一種。





下 着 。





キタキター!

ただの 「上品な二股靴下」 レベルの印象しかなかった足袋なのに、これは新発見ですよ!
なんとこいつは
下着 なのです! しかもなんか和服美人のソレな印象が強くなるので上品さが半端ありません!
足袋。それはほかの脱ぎたて下着類と同じエロさを持つアイテム――ということになります。しかも香りにいたっては、恥ずかしさが数倍の可能性アリ。

こいつはすげえ新発見だぜ、旦那!

エッセイ書いてよかったぜ! ひゃっほー




【10年06月04日 河端潤一】

 1枚の紙を用意してください。
 ペンも必要ですね。
 なければ、頭の中で想像するだけでもかまいません。
 そこに、木を描いてみてください。
 あなたの好きな木を。ゆっくりでかまいません。好きなように、思うように描いてみましょう。




 描けましたか?




 たとえばそれは、どんな形ですか?

 たとえばそれに、花は咲いていますか? 実は成っていますか? そもそも、1本の木ですか? 森のようにいくつもの木が密集している? 鳥がとまっている? 顔がついていて、あなたに話しかけてくる?
 どんな木でもかまいません。その木に対する気持ちを考えてみてください。その木に名前をつけるとしたら、何ですか?

 ――聞いておいてなんですが、答える必要はありません。すみません。
 これは
イメージワーク という作業です。
 心理療法にも使われたりしますが、私はこれを大学の講義で学びました。深層芸術心理学、とかそんな講義名だった気がします。
 イメージワークをしてみると、「われながら、何でこんな風に描いたのだろう」 と思う箇所がいくつかあります。それについて考えたければ考えてもいいですが、考えたくなければ考えなくてもいいです。もちろん、誰かに説明する必要など皆無です。それがイメージワークです。
 大事なのは、描いた本人がどう感じているか。○○した感じ、□□した感じ。なんとなく△△。それでいいんです。ちなみに、私がはじめてイメージワークをしたときに感じたのは、サァーっとした感じで、あえて言葉にするなら 「郷愁」 でした。

 普段、私たちはあらゆる場所で説明を求められます。
 道理、理屈、原因、理由、批評、批判 etc... すべての行動には理由がなくてはならず、すべての言動には意味がなくてはならない。コミュニケーションとはそういうものです。
 しかし、イメージワークにそれは不要です。必要なのは、ごく主観的な価値観です。
 なぜか? 言葉をつかわないからです。人に伝えることを目的としていないからです。
「言葉をつかわない」ということは、「客観性を持たない」ということ。言葉とは本来、感覚や意識を共有し得ない他人同士が、できるだけ手っとり早く簡単にわかりあうためのツールであり、あらゆる概念を万人共通のものとして、「客観的に記号化」 しようとしたものです。
 たとえば 「みかん」 という概念を知らない人には、
「ミカン科に属する植物の総称で、柑橘類。橙色の皮をむいて食用にする。酸味と甘みの合わさった、初恋の味」 と、それを言葉にすることで説明できます。これが 「客観的に記号化」する ということです。

 逆に、
「絵を描く」という行為はごく「感覚的」です。
「感覚的」であるということは、「主観的」であるということ。イメージワークでは、客観性は省かれ、主観性が尊重されます。イメージワークの目的が、自己の再発見にあるからです。
 客観性が求められる現代の社会で、理由のない主観や個人的感覚を信じるのはわりと困難なことです。イメージワークは、そういったものを再確認させてくれる作業なのです。

 作家はときに、主観と客観、その両方を求められます。 「自分が面白いと感じる主観・感覚を、客観性を持って人に伝えること」 、それが作家に必要なスキルだと思います。
 自分の面白いと思ったものが他人に受け入れられないな、と感じたとき、あるいは、売り上げに踊らされて自分の作りたいものを見失ったとき、イメージワークをしてみるのもいいかもしれない……。そんなことを、昼下がりの喫茶店で考えているわけです。

 イメージワークは心の

 みなさんも、一度お試しあれ。


←エッセイ目次

TOP