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【10年09月30日 清松みゆき】 |
こちら(関西)に越してきてからと言うもの、台風たちのせっかちさんぶりに、少し寂しい思いをしている清松です。ものの6時間やそこらでいなくなられたんじゃあ、歓迎する暇もありません。
空を見れば、でろでろでろでろと流れゆく怪しい雲。じわじわと風が強くなり、子供部屋の雨戸を閉めろと親から命令下る。イヤだなあと思いつつ、戸袋から引き出してみれば、案の定、角っこに蜘蛛の糸の塊ができているのを発見。見なかったことにしながら、ガタゴトと閉じ合わせて、ガラス窓まで閉め切ってついでにカーテンもしっかり引けば、昼なのにほぼ真っ暗な異様空間。こうなれば、もうニヤニヤが止まらない。風は雨戸をガタガタと揺らし続け、そのうちに雨が叩く音が混じってくる。うふ、うふふふ。
階下に降りれば、TVは気象情報。日向灘を蛇行北上してきた曲線の延長で、豊後水道も抜けようと伺うへそ曲がりの予報進路が扇形(当時は予報円ではなかった)で示されている。そいつが伴う赤の円が、小さくしぼんできたことに失望を隠せない。中心気圧の数字も上がり、最大風速も小さくなっちゃった。あと一息踏ん張って、ついでに、進路は予想の真ん中東寄りでお願いしたいところ。
さて、予報は……「大分県南部 明日の天気:暴風雨」。来たぜ。ひゃほーい。
停電は言うに及ばず、浸水を恐れて畳をあげまくったり、風を背に受けて坂を漕がずに自転車で上って遊んだり(危ないガキだな、さっさと家に帰れ)、いろいろあったことを思い出します。台風は、接近から通過まで、24時間から48時間級(まれにもっと長い)のイベントでした。そうそう、「明日の天気:暴風雨」で躍り上がったのは、休校を期待していたわけではありません。むしろ、暴風雨の中、登校しろと言われたらもっと楽しかったはず。あのときは、すでに夏休みだったかな?
それに比べて、こちらでは。
わくわくしながら、雨戸(シャッター)を下ろしても、しばらくガタガタ揺さぶってはいおしまい。あ、自転車だけ倒しといたから、立てといてね。
つれないよね。つれないと思いませんか?
モノホンの台風話はこれくらいで、今年パ・リーグ終盤に吹き荒れた台風の話もさせてくださいな。やっぱ、これ、やっとかないと。
ホークス、7年ぶりのリーグ優勝です。崖っぷちに追いやられ、ほとんど諦めるしかなかった、おおよそ8.6%*1の逆転劇。終盤に弱い、あと一歩を渡りきれない、そんな毎年を繰り返し、今年も9月頭には優位に立っていながら、そこからズルズルと負けていき、ああ、またかと思わせたのですが。
最後の最後に風が吹きました。ビッグ・タイフーン到来。
この劇的な幕切れを可能にしたのは、直接対決が3つ、福岡で残っていたというその一点にあったと思います。
実は近年、TVなどで観戦していてヤフードーム(福岡ドーム)の客席を、少し首を傾げながら見ていました。人数自体は、それなりに入っているにもかかわらず、妙に静かだなあと。チャンスになっても応援の声が大きく増すではなく、そのくせ、ピンチに陥ると球場全体が浮つきざわつき、投手が打たれた瞬間に悲鳴が響き渡る。これはいったいどういうことだと。
それが、あの3連戦では異なりました。第1戦の松中選手の同点3ラン以降、球場の空気が攻めに変わったように感じます。相手を飲み込み押し潰さんと四方八方から襲いかかる声の圧力が戻ってきたなと思いました。それは、久しくあの球場から失われていたものです。99年、福岡の鷹として初優勝したときの、あの制御のしようのない熱気を再び感じることができました。、
前述の松中選手の3ラン、小久保選手のサヨナラ2ラン、そして、第2戦の幻の400号*2。それらがすべてステップとなり、福岡のホークスファンたちが、いつの間にか心の奥底に押しこめてしまっていた、勝つことへの飢えが、一気に吹き出してきた3連戦でした。
もし、あの盛り上がりがなければ、ピンチでざわざわするだけの球場のままだったならば、最後、馬原投手と中島選手の12球は、違った結果になったように思います*3。
6年間という年月は、長いトンネルでした。しかし、だからこそ今年の優勝の喜びはひとしおです。特に、主将として責任を負い続け、1人だけ実質10年ぶりであり、客観的にはラストチャンスぎりぎりを否めなかった小久保選手のことを思うと、本当に報われたなあと感じます。
もし、ホークスが2000年代前半の強さのままであり続けたら、たぶん、この感慨はありません。そして、ドームに、あの熱気が再び吹き荒れることもなかったのではないでしょうか。勝てば嬉しい、それはそうです。けれど、勝ったり負けたりにやきもきし、ときにあまりの不運に頭かきむしって嘆き、暗黒の中にしかたないからよかった探しをし、そんなプロセスを通ってからの勝ちの嬉しさは、ただ、勝ち続ける勝ちのそれとは、比較になりません。「明日の天気:暴風雨」も、それが毎日じゃあおもしろくもなんともない(ん? 何かズレたか?)。
ともあれ、せっかく6も12も球団があるのだから、そういうプロセスを、すべてのファンに満遍なく提供できんもんかなあと思うのですが。NFLのシステムをそのまま導入はできないにせよ、セ・リーグの二極化をこのまま放っておいていい道理はないと思うところです。
*1ホークスとライオンズ、残り6つと7つとなって以降、全試合の勝率を五分五分とした、かなり乱暴な計算で。
*2帳尻(故意)を除けば、誤審なんてまったく悪いと思わない、審判擁護派を自認する僕ですが、あの場面あの打者あの打球でビデオ判定することをも拒否したのは、まずい判断だったなあと思います。説明の過少、納得させる努力の欠如は、NPB審判団の大きな欠点です。
*3ま、四球だな(笑)。
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【10年09月21日 柘植めぐみ】 |
すでにお二方がまともに 「台風」 を取り上げてくださっているので、つれづれなるままに 「台風」 から思いつくところを。
そういえば、今年は台風が少ない。
例年、「JGCと言えば台風!」 と言うくらい、夏のJGCと台風はぶつかることが多かった。神戸に帰るに帰られず、新幹線のなかで缶詰を食らったこともある。会場が横浜に変わってからも、蒸し暑さにぐったりしながら駅で待たされたり。毎年、JGCの3日目には 「今日の新幹線は無事に動くのかな……」 と気象情報に耳を傾けていたものだが……今年はまったく心配なし。
遠方からお越しのお客さまのためにも、よかったと思うべきなのだけれど。どうしてこう、ネタを奪われたような気分になってしまうのだろうか……。
台風。
タイフウ。
口に出してみて、「タイフウジョオー」 という競走馬がいたことを思い出した。
もう、かれこれ14年前になる。人気のサンデーサイレンスを父に持ち、岡部幸雄騎手鞍上で活躍が期待された。新馬、500万と連勝して一躍桜花賞候補にあがったけれど、結局はクラシック路線に乗れず。それでも4歳になってからはコンスタントに入着をおさめるなど、とてもがんばりやさんな女の仔だった。
引退して母親になってからも中央で勝ち鞍をあげる産駒を順調に送り出し、現在4歳馬のエイシンタイガーくんはオープン馬として重賞に名を連ねる活躍をしている。
SNEには 「競馬同好会」 があり、ペーパーオーナーゲームを楽しんでいるのはご存じの方もいらっしゃるかもしれない(これもまた「ゲーム」)。今年度、わたしはタイフウジョオーちゃんの息子を12番指名にしていた。が、10番指名まででちゃっかり10頭取れてしまったので、そのレッドジョーカーくんは 「ウチの仔」 にはならなかった。
いま思えば、キングヘイロー産駒の藤沢厩舎……もっと上位に指名しておいてもよかったかも……。
結局、彼を指名したのは、人呼んで 「ちゃっかりくん」 の江川さん。かつてナリタブライアンとエアダブリンの2頭でぶいぶい言わせ、ディープインパクトで勝ちまくり、昨年度もヴィクトワールピサでダントツのトップを走った同好会一の目利き。
レッドジョーカーくんが、来年のクラシックの 「台風の目」 なんてことにならなければいいのだけれど……。
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【10年09月14日 片山泰宏】 |
たいふう。
台風。
今年はどの程度吹き荒れるのか、よく分かりませんが、日本の秋にはよくやってくる、というイメージがあります。
さて、台風の被害が酷い地域としては、九州、四国が例に挙がるんでしょうか。
あいにく片山は静岡人でして、台風の被害というものがなんだかよくわかりません。
台風と言えば、秋頃にやってきて学校を休みにしてくれたかと思えば、遠足なんかの行事も潰してくれるという、一長一短のつかえねーやつ、というイメージがあります。
まったく、台風をコントロールできれば学校の面倒な授業を狙って休みにできるのに……と、まるでのび太のような発想をした小学生は、果たして私だけだったのでしょうか。
さて、ある日のこと。
SNE分室(マンションの九階)での打ち合わせを終え、さて帰宅しよう……という段になり、外に出る私と同僚2名。
その日はやや曇っていたものの雨の兆しはなく、ようやく夏の暑さも緩まり始めた……と思っていたのに。
出てみれば、そこには叩きつけるような大雨。
「…………ホワイ!?」
呆然と立ちすくむ我々。
しかし、目をこすろうが手をかざそうが、そこは紛れもない台風ゾーン。
とてもではありませんが、丸腰では外に出られません。出れば、二秒で濡れ鼠となることは必至。
「おのおの方。ここは雨傘を借りて帰るのが最善では?」
「い、今から九階まで戻るのか? ……正直、めんどいぞ」
「しかしこの雨だ。悪いことに、雨がやむのを待つ時間もない」
時刻は夜の十時を回った辺り。
奈良在住で終電が早い片山は、あまりゆっくりもしていられません。
結局、分室へととって返し、置いてあった傘をゲット。
「これで無敵だぜ!」
そう勇んで、改めて外に出てみれば……
……吹いていたのは、ただの生暖かい風でした。
「や、止んでるーーー!?」
「なんだこのお約束展開は!!」
そう激怒してみても、道には風が吹きすさぶのみ。
無理して、傘を差して歩いては見たものの……道行く人の 「え? 雨止んでるのに気づいてないの?」 というような視線(被害妄想)に耐えきれず、ひとつ、ふたつと傘がしまわれ、結局五分も経たないうちに、傘は無用の長物に。
台風……なんと気まぐれなヤツか。
言いようのない敗北感に打ちのめされつつ、帰途に就いたのでした。
ちなみに、雨は駅に行き着く直前にまた降り始め、今度は 「勝った!」 と根拠のない勝利宣言をした我々でありましたとさ。
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【10年09月10日 篠谷志乃】 |
捻ろうと思ったのですが何も思いつかなかったので、ズバリ 「台風」 をテーマに、「臨機応変に対処するって大切なことだよね」 というお話をひとつ。
私が小中学生のころ、「大雨警報」 「洪水警報」 など何か1つでも警報が出れば、休校になりました。おかげで台風シーズンは、突発的に発生した休日を棚ボタ気分で堪能したものです。
ところが。
高校では基準が異なり、たとえ警報がいくつか出ていても、「暴風雨(正しくは、暴風と大雨)」 警報でなければ、休校にならなくなりました (ちなみにこの基準は高校別で、小中学校と同様、1つでも警報が出れば休校となる高校もありました)。
何かヘン。そう思っていたある日、その年いくつか目かの台風が訪れたのです――。
「高潮」 「洪水」 「波浪」 「強風」 ……さすがに 「雷」 はなかったかな?
とにかく、風台風と呼ばれたこいつは強力で、警報のオンパレードとなりました。
登校後に注意報から警報へ次々と切り替わったものの、「暴風雨」 の条件を満たす、残る 「大雨」 の警報が出なかったため、私たちはずっと学校にカンヅメ状態。
家庭科の授業中、ミシン掛けをしていると別の高校の学生さんたちが目の前の道を帰っていく……。その姿をうらやましく見送ったことを今でも覚えています。くそう。
そして、昼休み。
相変わらず風はごうごうと鳴り、空には雲が増えてきました。秋雨前線を刺激したことによる雨も、注意報レベルですがザアザアと降り始めます。
しかし、一向に帰宅できる様子はありません。
山側である北の方を見れば、空は真っ黒。川の上流では、ざんざか大雨が降っているのは間違いなさそうでした。
『ああ、このまま6時限まで授業を受けて帰るのか……』
そんなことを思っていると、急いで体育館に集まるよう指示が。
『やっとか。とはいえ、帰りは大変なことになりそうだ』 と、うんざりした気持ちで移動しました。
「本来なら、こんなことで帰したりしないのだがっ」
「ご父兄の方の強い希望で、君たちを家に帰すことになった。本っ当に異例のことなので、次はこんなことはない。期待したりしないように……!」
なぜか悔しそうな表情で、私たちに告げる先生方。
(いやいや、いいから早く家に帰しなさいって)
体育館に入った瞬間から、私たち生徒の心は確実に1つになっていました。
だって、先生方が話している間も、体育館の高い天井から落ちる雨垂れを金属のバケツが受け止めて、「カンっ! カンっ!」 と賑やかな音を立てているんですもの。
学校の体育館って、普通避難場所に使われるんですよ? そこが雨漏りしてるって……どれだけ建物にダメージ来てるんだ(笑)。
ちなみに、私はこのとき生まれて初めて、屋内で雨垂れをバケツで受けるという光景を目にしました。そして、今もまだほかでは見たことがありません(笑)。
あとで聞いたのですが、私たちを家に帰すきっかけとなった苦情で一番多かったのは、「田んぼの手伝いをさせる! とっとと子供を帰せ!」 だったそうです。
切実な農家の方をはじめ、父兄の怒りは本当にもっともで――。
「帰ろうとしたら、通学で使っている電車の線路が水没していたため、振り替え輸送のバスの列に数時間並んだ」
「家に帰ると避難勧告が出ていて、自衛隊の方に避難所へボートで誘導された」
そんな生徒がかなり出たぐらいの被害だったんです(苦笑)。
かく言う私も、通学に使っていた道がいくつかの場所で冠水していて、足をじゃぶじゃぶいわせながら帰ったクチです。
あのとき、学校に足止めされた私たちは悟りました。
「臨機応変という言葉が生まれた理由は確かにある」
「何ごとも杓子定規で動いちゃいけません」
――と。
今となってはとても信じられないですが、こんな融通の利かない決まりが確かにあったのです。
あの災害時マニュアルは、さすがにもう変わっているのでしょうか?
今度、同窓会の際にでも先生方に聞いてみたいと思います。
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