|
日々つれづれ 11年06月
テーマ 「 かえる 」 |
【11年06月27日 川人忠明】 |
『かえる』と言えば、『蛙』。
あるいは、『変える』、『帰る』、『返る』、『替える』、『買える』、『代える』、『換える』。
ああ、あと『還る』とか『飼える』『孵る』なんてのもある。
他にも、あったっけ? ……まあ、いいや。
こんなふうに、いくつもある『かえる』だが、その中から今回は『変える=CHANGE』を取り上げてみたい。
というわけで――
このエッセイの形式も、いつもの会話形式からCHANGEしてみた(^^;)
閑話休題。
CHANGEと言えば、“YES,WE CAN!”の合言葉で一世を風靡したあの人が記憶に新しいところ。まあ、世間的には、すでに「一昔前の出来事」みたいな扱いにはなってるな。それもまた、時代の移り変わり。つまり、CHANGEのひとつということだろう。
というか。
最近、なんだか時間が流れるのが早い気がするのは、年を取ったせいだけではないと信じたい。
きっと、あれだ。情報ネットワークの発達によって、あらゆる情報の伝達が高速化したせいで、ひとつの情報の寿命が短くなってしまったのが原因だ……たぶん。
ネットを見てると、流行はあっという間にCHANGEしちゃうし、それこそ一昔前までなら一般人が到底知ることもできなかった秘匿情報が次々に明るみになってるからね。
そういう意味では、現代は「CHANGEの時代」というわけだ。
まあ、中にはなかなかCHANGEしたがらない人もいるようだけど。
………………
…………
え、え~と。いつもと違って、ツッコミ役がいない現状なわけだが(--)y-゜゜゜
「い、言っておくけど、愛想尽かされたわけじゃないんだからねっ!」
と、とにかく。
どこまでも遠く流れゆく――そんなCHAGEの時代、じゃなくて、CHANGEの時代。
自分たちもCHANGEし、適応していかなくてはならないと思いつつも、「決してCHANGEしないものがあるはずだ。あたかも、太陽が東の空に昇るように。日曜日の次に月曜日が来るように。ニャルラトホテプが這い寄るように!」と、心のどこかで思ってしまうのは、やはりオールドタイプということだろうか?
そして、いつの日か、「これが若さか」とか言いながら涙する日が来るということか?
てなわけで。
最後は、『ブルータス、お前もか』で有名な、時代をCHANGEしたあの大事件から徳島センスをひとつ。
今月の徳島センス: |
「ブルータス、大丈夫か?」 |
|
「いやあ、ぶるったっす」 |
ばんざーーーーーい!!
「コロンバスから、ただいま戻りました」
うう~、おかえり~~。
「うわっ! なに泣いてんですか?」
ツッコミいないのって、想像以上にキツイよ。やっぱ、なんでもかんでもCHANGEすりゃいいってもんじゃないんだよ~。
「CHANGE? 何の話か、よくわかりませんが。ほら、ORIGINSのお土産の新作ゲームいっぱいですよ。元気出してください」
わ~い! ありがとう! |
【11年06月23日 石在神明】 |
みなさま、初めてお目にかかります。
グループSNE新人の、姓はイシザイ、名はタカアキでございます。
「神明」でタカアキが読みにくいようでしたら、シンメイと音読みでも構いません。
どうぞ、ごひいきに。
てなわけで、エッセイのテーマが「かえる」ですか。
かえると言えば、かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あの蛙であります。
蛙と言えば、かつて東南アジアに住んでいた時のことを思い出します。
あたくし、北緯1度という、ほぼ赤道直下の町を歩いておりました。
ふらりと入ったホーカーセンター、まあこっちで言うところの屋台村ですな。
その中で、真っ黒に塗りつぶされた水槽を店頭に出している、一軒の店。
目に入った「鶏」という文字に惹かれて、思わず「おやっさん、これ1つ」てなわけで。
注文を待っている間もう一度メニューを見ると「泡椒田鶏」と書いてある。
ここで豆知識、中国語の料理名ってのは、基本的には「調理法」+「食材」なんですわ。
「泡椒」というのは、簡単に言うと、唐辛子(椒)の漬け物(泡)のことですな。
つまり、「田鶏」と唐辛子の漬け物の合わせ(たぶん煮物)と当たりが付きます。
では「田鶏」とは何だろう、「田」とはいかなる調理法だろうかと考えることしばし。
文字の見た目から、さいの目切りかと推測するも、さいの目切りは「丁」と書きます。
ならいったい……と、ここで辞書を引いたんですな。
ふむふむ、なるほど、あー、そうか。
田鶏と書いて、ウシガエルってわけかい。
確かに蛙は鶏のような味がするっていうし、だとすりゃ田にいる鶏は、そりゃ蛙だわな。
てことは、この料理は蛙の唐辛子煮、ってとこかい。
……え、カエル?
「す、すみません! 今のオーダーキャンセルで!!」
おー、びっくりしたびっくりした。
まさかまさかの両生類たぁ驚き桃の木こんこんちきだぃ!
と、冷や汗タラリで、ふと入り口の真っ黒に塗りつぶされた水槽に目をやると……
真っ黒に塗ってあると思ったのは、大量に押し詰められた無数のウシガエル!!
「ぎゃっ!」とみっともなくも悲鳴を上げてしまったのでありました。
今でこそ喜んで頂きますが(黒椒田鶏は極上美味!)が、当時は食わず嫌いでして。
「田鶏」に恐れをなす、まさに正真正銘の臆病者(チキン)だったというお話でした。
最後に1つ、問答など。
「“かえる”と知って“買わず”」とはこれ如何に。
お後がよろしいようで。 |
【11年06月21日 加藤ヒロノリ】 |
その昔、コナミさん開発、セガさんから発売から出ていた「フロッガー」というアーケードゲームがあったのをご存じでしょうか。
無力なカエルが、車が行き交う道路を横断し、さらには、流れの速い川を流木渡りしながら、横断するというゲームです。
シンプルながらにも、何度も遊びたくなるにくたらしさのある良ゲームです。たしか、あらいぐまラスカルの音楽が使われていたような気がするんですが、違ったかな?
この間、XBOX360の無料体験ゲームをのぞいていたら、久しぶりに見つけましたよ、フロッガー!
しかも、いつの間にか「フロッガー2」なるものが存在していました!
早速、体験版をダウンロード。遊んでみました。
続編のフロッガーには、なんとオープニングがあります。宇宙人がどうこう出てきたんですが……予想もできないすばらしい展開。
そしてここで明かされる衝撃の事実!
なんとこの主人公のカエルは泳げないらしい!
三十年越しくらいの謎がとけた!
そうか、だから川を丸太越しに越えて行ってたんですね。すげえ、納得だ!
続けて遊んでみると、画面やマップが広がってやりがいのあるゲームになっていました。
操作は至ってシンプル。
ベロによる捕食要素が増えていましたが、移動はもちろん十字方向移動のみ。よって、ちょこっと間違えるとすぐ死にます。
うん、これぞフロッガーですよね!
ある程度進むと、体験版終了のおしらせ。
いやあ、無料で楽しませていただきました。しかもハナタレ小僧時代の切ない脳内ホログラフィのおまけ付き。よくおかあちゃんの小銭くすねて、駄菓子やの立ち台で遊んだなぁ。懐かしかったっす。
その後は、ムスメウス、ムスコウス、さらには懐かしさに奥様も参戦。
フロッガーによって繋がれた、ちょっとした家族団らんでした。 |
【11年06月02日 ベーテ・有理・黒崎】 |
今月のテーマは「かえる」。
帰る、孵る、買える、飼える……様々に解釈可能な言葉だが、今回はストレートに「蛙」にまつわる話をしようと思う。
蛙と、俳句についての話だ。
……こう書くと、ほとんどの日本人は「古池や~」で始まる松尾芭蕉の句を連想するのではないだろうか?
また、このあまりにも有名な句を想起した時脳裏に浮かぶのは、どことなく侘びた風情の小さな池に、一匹の蛙が飛び込み、ぽちゃんと水の音が聞こえた、その一瞬の情景ではないだろうか?
少なくとも、俺がこの句から連想する風景はそんな感じのものだ。
だからこそ、初めて“アレ”を見た時は愕然とした。
アメリカでの大学時代、授業でこの句を英訳するとなった時、サンプルとして提示された先人の訳の中にそれは在った。
“Old pond — frogs jumped in — sound of water.”
確か、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンによる翻訳だったと記憶している。直訳に近い、虚飾を廃した実直な訳だ。無駄に詩的な単語をゴテゴテと付け足すような訳よりは、ずっといいと思う。
少々単語がぶつ切りすぎる印象がないでもないが、そもそも俳句や短歌の英訳は非常に難しく、こういった形になってしまわざるを得ない。
それはいいのだ。
しかし……気付いている人は気付いていると思うが、この訳は多くの日本人がこの芭蕉の句から想起するだろう情景と、決定的に食い違っている。
ハーンは、「蛙」を「frogs」と訳したのだ。複数形である。
古来、日本語は基本的に単数形と複数形を長い間区別してこなかった。故に、この翻訳は間違いではない。実際、田舎育ちな俺は、小学校の下校中、たんぼのあぜ道を歩いていると、ぴょんぴょんと蛙が次々水の中へ飛び込む光景を見てきた。恐らく、ハーンが思い浮かべたのは、そういった、次々と蛙が水に飛び込む様だったのだろう。
しかし、それはこの句を聞いたほとんどの日本人が思い浮かべるだろう風景と、根本的に違うのだ。同じ句を見ているはずだというのに……
“異なる視点”というもの、そして“正しい翻訳”の難しさを強烈に感じたエピソードだった。
……しかし、よく考えたら、「かえる」じゃなくて「かわず」の話しかしてないなあ、俺(苦笑)。 |
|