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日々つれづれ 12年06月
テーマ 「 ボタン 」 |
【12年07月04日 河野裕】 |
こんにちは、河野裕と申します。
最近(というか、もうずいぶん前からですが)電子書籍の話題をよく聞きます。この春には産業革新機構が150億出資して「出版デジタル機構」なんてものができたりと、かなり大きな動きもあるようです。
出版関係者の方とお話をしていて、何度も耳にするのが「よい電子ブックリーダーデバイスがあれば、電子書籍はもっと普及する」という意見です。
もうすぐkoboが売り出されるし、年内にはKindleの日本語版も発売されるらしいので、きっと電子書籍は今よりもずっと普及するでしょう。
では本は電子で読むのが当たり前になるのかというと、そんなことはないんじゃないかなと思います。もうしばらくは、紙の本の方が主流なんじゃないでしょうか。もちろん未来のことは私にはわかりませんが、いきなり電子書籍が多くの人々に行き渡るということは想像しにくいです。
専用の電子ブックリーダーデバイスというのを購入するのは、主に「読書が大好きな人」でしょう。たまに気が向いたら文庫本を読むよというくらいの人は、費用の面で専用デバイスを購入するのはもったいないと感じるのではないでしょうか。
しかし「読書が大好きな人」というのは、多くの場合「紙の本が大好きな人」でもあります。指先でページをめくり、少しずつ左手側の紙が右手側へと移動して、残りページ数がクライマックスを示唆する。そんな感覚がすべてまとめて、読書体験でもあります。
つまり「読書が大好きな人」は、紙の本を読むことに慣れているのだと思います。この「慣れ」というのが電子書籍普及の大きな障害でしょう。だから「まるで紙の本を読める」という風な構造の電子ブックリーダーも見かけるのですが、それでもやっぱり実際の紙の本とは、色々な点が異なります。
反対に現実を見てみると、文字を読む機会って、もうすでにかなり電子が大きな比重を締めているように思います。多くの人にとって、本を読んでいる時間よりも、メールやツイッターやフェイスブックやその他インターネットで電子上の文字を読んでいる時間の方が長いのではないでしょうか。
つまり、「慣れ」という意味では、もう大抵の人が「電子の文章を読むこと」には慣れてるんですよね。ただ「文章」が「本」になるとフィルターが掛かって、抵抗が生まれるように思います。
だから「電子ブックリーダーを本に近づけることは、あまり意味がないのではないかな」と私は考えています。
むしろ本から遠ざかった、「もっと電子で一般的なもの」の形で文章を読ませた方が、馴染みやすい気がします。例えば「電子書籍は日本語のものでも横書きの方が受け入れやすいんじゃない?」とか、そういうことです。
もっというと、今のある程度若い世代にとっては、幼い頃から日常的に、それも長時間、電子の文字を読んできたデバイスがあります。
それはもちろん、ゲーム機です。
私が小学生だった頃、好んで本を読む同級生は少なかったけれど、コンピュータゲームが嫌いな人なんていませんでした。それは中学校になっても、高校になっても、大きくは変化していません。
私たちの世代にとって、「ページをめくる」以上に文字を読み進めることに直結している行為って、「ボタンを押す」ことなんですよね。
極端な話をすれば、携帯ゲーム機のような形状のデバイスの方が、本に近づけた構造のデバイスよりもずっと抵抗なく「電子の文字」を読めるように思います。
ボタンを押す。画面に横書きで、次の行が表示される。これを体験していない人なんて、なかなかいません。もちろん世代にもよると思うけれど。
そんなわけで「電子書籍について」のふりをした、「ボタンって凄いよねー」というお話でした。 |
【12年07月02日 加藤ヒロノリ】 |
ボタン。
夢でよくありますよね。これをポチっといっちゃうと、世界が破滅するボタンが目の前にあること。
実際にそんなものがあったら、どうするんでしょうか。
自分の指先一つに世界の運命がかかっている。それはきっと、想像以上のスリリングさであることでしょう!
まあ、自分の場合は一度もそんな夢を見た覚えはないんで、これ以上、話は続かないんですけれども。
むむう、どうしよっかなぁ。
ボタン、ボタン、ボタン。
ボタンと言えば、ぽっちり。
ぽっちりと言えば……アレですね。服の上からツンと浮き出るお乳首様。
ずばり、アレは別名「ボタン」でいいと思います。
ちなみに加藤ですが、なぜかぽっちりさんが戦闘状態であることが多いです。
というよりも、非戦闘状態であるマイぽっちりをあまり知らず、そもそもそういうものなんだろうと思っていました。
今まさに確認のためにちょっと触ってみましたが……いや、別に戦闘状態になってないや。
ただ、堅くなってないだけで形がクッキリ。きっと加藤が女なら、さぞかし美乳なんじゃなかろうかと思います。
夏は危険です。
Tシャツだけだとぽっちりが出ていることが多く、出かける前の鼻毛チェックのときに鏡を見てうんざりすることがあります。
バンドエイドを張るか……とか、ちょっぴり乙女気分にひたることもありますが、めんどくさいのでパス。乳毛が粘着部分にくっついたら痛いですしね。
というわけで、皆さんも気をつけましょう。
女性はそもそも専用下着があるので大丈夫かと思いますが、男性の皆さんはノーマークであることが多い。
女ぽっちりはボーナスステージですが、男ぽっちりはダメージゾーンに等しい。かなりみっともないです。
出かける前のぽっちりチェック。
それが夏の男のスタンダード。
そういや「男性用ブラジャーとかは、こういうところから開発されたんじゃないか」とか思い出してみた加藤でした。 |
【12年06月19日 安田均】 |
ボタン機能の変遷
じつは最近、一つのマイ変化が起きている。
そう、タブレット、スマホを手始めに、ボタン化から指先化への心理的な慣れが見られるのだ。これは意外に早くなじんだので、自分でも驚いている。iPadの画面など、最初はこわくて触れられなかったのだが、いまではパソコンの画面までつい触りたくなってしまう始末。おお、これはタップしても意味ないな、とか(笑)。おそらく昔、画面に指紋が残ったりした思い出が嫌なだけだったのだろう。
考えてみれば、コンピュータのキーボードで文字入力が画面に出るというのも、大昔は画期的だったはずで(コンピュータのイメージはまずパンチカード)、アップルUにはその辺りから驚かされている(もちろん同時に、初期のゲームでもだけど)。マウスのマッキントッシュにも驚かされたし、それがいまiPad、iPhoneの指先タッチになってるのを見ると、こうした部分からも文化/時代/風景は変わっていくんだろな、と思う。
まあ、次代の音声入力もはじまってるし、まだまだ変わっていくんでしょう。キーボードやマウスの「押しボタン」は消滅はしないだろうが、そろそろ去り行く頃かな。入力機能というのは、コンピュータという道具のなかでの機能の一つにすぎないが、それはまた各時代の象徴みたいな意味合いもあるのだよ。
ところで、ここではいまさらアップル賞賛だけを書きたかったわけではない。
RPGやTCGなどには、アナログにはアナログの、分野の象徴のような道具機能があったにちがいないということ。
RPGの場合は、ペーパー&ペンシルと、なんといってもダイスだろう。D&Dのあの20面体の変形サイコロがなければ、このゲーム形態の広がりはもっと小さかったはずだ。
TCGは、カードそのものというしかない。もともとカードコレクトにゲームがくっついたようなものだから(ゲーム自体の斬新さはともかく)、キラカードをはじめ、このカードという道具へのこだわりがなければ分野が続いたかどうか疑わしい。
問題は、昨今伸びているボードゲームである。
これの道具としての特徴は?
あまりイメージが浮かばない? ダイスもカードも使うから?
やはり、ここは名称どおりの「ボード」だろう。
ところが、日本ではこれが主にコスト面から、ちゃんと象徴になっているかどうかは疑わしい。おそらく、ここをちゃんとイメージ化できなければ(つまり、一目でわかるボードのヒットゲームが日本で出なければ)いくらこれからはボードゲームといっても、浅いものになるだろう。カードゲームで代用されているようでは、まずいなあと最近とみに思う。
ボードゲームの新しい「ボタン」は、やはりボード部分になるはずだ、きっと。 |
【12年06月13日 田中公侍】 |
「ボタっと落ちるからではないそうで」
実家の玄関にガラスの花瓶が常備されていた。
装飾ガラスというのだろうか。白く濁っており、細長い貝を幾重にも張り合わせたような、複雑な形だった。
照明が当たると玉虫色に輝き……正直、子供のころは不健康な色だと思っていた。
季節によって活けてある花は異なっていたのだが、一時期は5輪の牡丹だった。
母の着物だか掛け布団だかも牡丹だったので、好きだったのだろう。
帰宅すると、その牡丹5輪のうち、4輪が玄関に落ちていた。
枯れもせず、見事に花茎がそのまま。
子供心にはホラーだった。
大人になって「そういうものだ」と知るまで、母の趣味を疑ったままだったのだ。
あんな首狩り花(勝手にそう呼んでいた)が好きなのは、エクスキューショナーくらいのものだ。
最近の牡丹はそんないきなりな落ち方はしないらしい。ちゃんと枯れるのだそうだ。
品種改良時、誰かが情けをかけたに違いない。
喪失の心象風景や、場面転換などに花茎が落ちるシーンが移されることがある。
初めて目にしたのは、男性がオトコノカタに「にゃんにゃん」されるシーンだった、と思う。
まて、貴様は何を失うというのだ。
……貞操か。
だがしかし、脚本家はその表現について反省するべきだ、と思う。 |
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