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安田均の「ゲーム日記」 第1回 (1997年1月20日版)

マンハッタン
マンハッタン 
販売元:HANS IM GLUCH
作:Andreas Seyfarth
  どうして最近、テーブルゲームが、こんなにおもしろくなってきたのだろう?
 理由ははっきりしている。
 ドイツ製の、超オモシロゲームの一群が襲来してきたせいだ。
 前兆は去年(96年)の2月くらいからあった。
 いや、正確にいうと、ホントはそれより半年くらい前(95年)だろうか。
 その頃、D&Dを遊んでいたら(ミスタラです)、プレイヤーの一人で、翻訳もよく手伝ってもらっているI木さんという女性が尋ねてきた。
「あの〜、ここの人なら知ってるかもしれないけど、マンハッタンって持ってないですか? なんかTVで紹介してたんだけど、とってもおもしろそう」
 I木さんは、じつは毎日新聞社にスタッフとして勤める記者さんである。日本の文化関係の記事を英文に直して、日本文化の発展に寄与しているとても立派な人だ。
 で、この人、新聞社にいることもあって、情報アンテナが早い。ときどき、思いもかけぬ角度から、おもしろそうなことを伝えてくれるので、驚くことがある。 このときの“マンハッタン”も、じつはそうだったのだが……。
「マンハッタン? 聞いたことのあるようなゲームだけど、知らないなあ」
 ぼくはたいして気にすることもなく、答えていた。
「そうですか、なんか、四角いブロックを積み上げていくゲームみたいなんですけど、でもRPGじゃないから」
 そう、そのときは浅はかにも、この93〜94年頃から現在までの、ドイツボードゲーム隆盛の起爆剤にもなったゲームのことをまったく軽視していた。
 でも実際にはこのとき(か、もう少し後に)、グループSNEの事務所のゲーム棚には、メビウス便の『マンハッタン』が眠っていたはずなのだ。
 メビウス便というのは、ドイツからのゲームを直輸入する「メビウス」というお店が、テスト的に先行輸入するゲームを会員に配ってくれるシステムである。もちろん、有料だけれども、どんな作品がくるかわからないということで、市販価格よりは安くしてもらっている。
 ぼくはいまじゃRPG(とかTCGやファンタジー小説)が日常のメインになっているが、前からボードゲームやカードゲームも好きだったので、こうした話を聞いたときには喜んで会員にしてもらっていた。
 だけど、日々の仕事や、それこそ先行的に読んだり遊んだりしなければならないRPG関係が山とあったので(それにマジックにもハマってたからねえ)、じつはこのメビウス便はほとんどツンドク状態だったのだ(申し訳ない! メビウスさん)。
 かくして、そんな記憶も薄れていった翌96年の2月。グループSNEのスキー旅行に行ったとき、いつものアクワイアや麻雀、それにマジックのデックなんかに混じって、なぜかこのマンハッタンが入っていた。

「これおもしろいの? バカに箱がでかいけど」
「わかんない、だけど、なんかドイツゲーム大賞受賞とか書いてあるから、まあ遊べるんじゃないかなあ。重たいから、これ一つくらいでいいだろ」
 もうこの頃には、会社のゲーム棚にドイツの傑作ゲーム群がかなりの数たまっていたにも関わらず、ぼくらはノンキにそう言って、雪山に向かった。
 スキー場で、やってみたらハマった。
 おもろい!
 水野良やら佐脇洋平やら村川忍らと、ああだ、こうだと、延々しゃべりながら、ボードをラウンジ(夜、カラオケをやってたところ)のテーブルに広げ、バスを待つ時間も惜しんで遊んだことを思い出す。
 もう、普通ならこの辺で、他のドイツゲームにも目を向けるべきだった。それなのに、まだなぜかぼくは春が来て、初夏になっても、そんなに気にならなかった。
 多分、7月くらいかな。なにげなく、会社のゲーム棚を見ていたら、やけに立派な箱がいくつもたまってるなあと気がついた。『エルグランデ』『カタンの開拓』『モダンアート』……そう言えば、マンハッタンっておもしろかったなあ、ここにあるまた別のをちょっとやってみようかな?……ルルルル……「社長、お電話です、編集の××さんです。あとがきの原稿はまだですかということで」……はっ、何を考えてるんだ、早くそっちを書かないと……。
 こうした毎日が常なのだが、ただそのときは、電話を終わった後もゲームのことに引っ掛かっていたので、秘書の笠井さんに聞いてみた。
「ここにあるボードゲームはのぞいたりしてないの?」
DIE OSTER IN’SEL
DIE OSTER IN’SEL
販売元:BLATZ
作:Von Alex Randolph
  Leo Colovini

「はあ、おもしろそうだとは思ってるんですけど。女子社員が開けてみて、何かフライパンで料理するゲームとかモアイ像で競走するゲームがあるとか言って、遊びたがってましたよ」
「はあ?! フライパン? モアイ像? なに、それ?」
 かなり気になったぼくは、彼女たちに聞いてみた。何でも、すごくおもしろそうなので、牛の首を集めるカードゲームをちょっとやってみたのだけれど、ヘンテコでとても楽しかったという。もっとほかのを遊んでくれてもよかったのだけれど、やっぱり大きなボックスゲームはぼくが集めている手前、遠慮して触っていないらしい。
 彼女らの説明で、その牛首カードゲーム『6ニムト!』を遊んでみる。
 興奮した。こりゃ、すごいデザインだ!
 すぐにわかって、誰でも楽しめる。かと言って、ゲームの流れが読めそうでいて、なかなか読めない。論理的なシステムがあるようでいながら、それを超えたところでゲームが進行する。
 なによりいいのは、30分くらいで終わること。あんなに騒いだのに、まだこれだけしか経ってないのか? なんかリップ・ヴァン・ウィンクルになったみたいな気持ちだぞ。このゲーム空間は時間を超越してるみたいだ……。
 この辺りで、これはいかんと思いはじめた。そりゃ、RPGやTCGもおもしろくて重要だし、小説だって気になる。コンピュータゲームも目は離したくない。
 だけど、なんだかぼくが知らない(あるいは、離れていた)ところで、かなりおもしろいものが出てきている気配がある……。



 ここで話はちょっと変わるが、ぼくは傑作集団発生論(?)みたいなものの信者である。目立たなかったある分野が何かの拍子に、そこに集まっていたものが、急に一段階進化したように続々と傑作群を生み出す。後から見れば、なぜ、そのとき、そんなにそこから傑作が生れたのかわからないのだが、とにかく奇跡みたいに、そうしたものが一点に集中するのだ。少なくとも、初期のSFやRPGなんかは、これに当てはまるとぼくは思っている(グループダイナミズムという論を唱える人もいて、それに近いという気もするけれど)。まあ、これは小説や映画なんかだと、何々派と呼ばれるものなんだろうが、ゲームなんかでも当てはまるような気がしてならない。
 以前、ゲームブックで有名なステイーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンが来日したとき、二人がもともとゲーム好きだと知っていたので(彼らの生み出したゲームズ・ワークショップ社は、当初ボードゲームをかなり出していた)、ボードゲームなんかはどう思うかと聞いてみた。
 そうすると、リビングストンが懐かしそうな目をして語り出した。
「いやあ、1960年代は、イギリスではボードゲームの黄金時代だったと思うよ。懐かしい作品がいっぱいある。レイルウェイ・ライバルズ、アクワイア……」
 厳密に言うと、こうしたものは70年代にもちょっとかかっているけれど、その頃傑作が集中して出ていた気配が、その口ぶりからもありありと感じられた。理由を聞いても、よくわからないが、とにかくいいものがどんどん出て、寝食も忘れてボードゲームにふけっていたらしい。
 でも、それを聞きながら、ぼくは「ああ、この感じだと、やっぱりボードゲームはいまでは過去の産物なのか」と少し残念に感じたことを思い出す。やがて、そうしたボードゲームの流れは、アメリカで70年代後半から80年代の半ばまで、SFファンタジーゲームという形で一時輝いたのだけれど、そのうち完全にRPGの流れに飲み込まれていった。
 現にリビングストンたちにしても、ゲームブックというRPGの新しい流れの方で出現したわけだから。
 もうボードゲームなんて駄目なのかな、あと残るとしたら、カードゲームか。
 おお、マジック・ザ・ギャザリング−−こいつはすごい! カードゲームの進化形態だ。おお、やはり、コレクタブル・ダイスゲームとか、マルチプレイ・トレーディング・カードゲームとか次々出てきたぞ。これはなかなか頼もしい−−まあ、この分なら、あと5年くらいしたら、ボードゲームの方にこの流れが波及するかもしれないな、当面はRPGとTCGの関係でおもしろいものが出てくるかどうかだ、というのが、つい最近までのぼくの認識だった。

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