第五章 いよいよギリシャへ(2000年10月24日(火)〜25日(水))われわれは上機嫌で次の目的地、アテネへ向かった。イスタンブールからは飛行機で1時間ちょっとの距離。さて、ここからのレポートが難しい。トルコでは何一ついやな思いをしなかったのに、アテネではちょっと不愉快な目にあったからだ。たった一つのささいな出来事でその街に悪印象を持ってしまうのだから、旅は怖い。 ☆ アテネの嫌いなところ、ちょっとだけ…乗車拒否。ぼったくり。アクロポリスからの帰り、われわれはタクシーを拾おうとした。が、どのタクシーも無視。たまにとまってくれるタクシーもこちらの人数と行き先を聞くと、ぷいと顔をそらして去っていく。一見して観光客とわかるわれわれに対してだけならまだしも、足の悪いギリシャ人のおばあさんにも同じ態度。 結局、ホテル(渋滞さえなければ車で5分の距離)まで3000ドラクマを支払わされた。空港からホテルまで30分がわずか1500ドラクマだというのに。 でも、マコちゃんは疲れきったわれわれの体調を慮り、怒りをこらえて交渉してくれたのだ。そうでなければ、いつまでたってもホテルには帰れなかっただろう。 タクシー側にも同情すべき点がないではない。アテネでは助手席に乗客を乗せて走るタクシーをよく見かけるが、それは同じ方向に行く客を次々に拾うためらしい。もちろん4人組を乗せるより、そのほうが実入りがいいのはわかるし、アテネ市内は時間帯によってひどい渋滞だ。その上、交通マナーは最悪。ちょっとした接触事故は日常茶飯事。われわれも何度かその音を聞き、現場も目撃した。 世界でも例のない歴史遺産(日本で一つでも発見されれば上へ下への大騒ぎは必定)の宝庫なのだ。そのあたり、次のオリンピックまでにはなんとか改善してほしいもの。 ☆ アテネ&エーゲ海観光
☆ 歴史は生きている?エーゲ海クルーズに同行してくれたガイドのイリーニさんはれっきとした日本人だが、ギリシャの男性と結婚して今は敬虔なギリシャ正教の信者。大学生の娘さんが二人いるらしい。カッパドキアのセダッツとはまた違う意味で、印象に残るガイドさんだった。ここに少しだけ、彼女の名言を紹介しよう。 ボス「ギリシャの人はトルコが嫌いですか」 イリーニ「だいっ嫌いです!!」 あまりの剣幕に、軽い気持ちで質問したボスはたじたじ。イリーニさんによれば、過去、オスマン朝に虐待されつづけたことをギリシャ人は決して忘れないし、忘れてはならないらしい。 マコちゃん「(何気なく)イスタンブールでね……」 イリーニ「コンスタンチノープル!! ギリシャの人間は決してイスタンブールとは呼びません!」 はいはい、キリスト教の中心地として栄えた頃の地名を守りつづけているわけね。 カイ「ギリシャ正教の人たちは、アヤソフィア寺院(イスタンブールにある元ギリシャ正教の総本山)は自分たちのものだと思ってるわけですか」 イリーニ「当然ですよ」 カイ「じゃあ、いつかは取り返そうと……」 イリーニ「あたりまえでしょう! もとはわれわれのものなんですよ?」 ちなみにギリシャもトルコも徴兵制土がある。若者の軍隊離れが進んでいるのはどちらの国も同じらしいが、イリーニさんいわく、ギリシャにとってそれは「必要なこと」だそうだ。 「なにしろ、ほら、ギリシャはトルコとの関係がありますでしょ」 ちらりとトルコの方角に視線を送る。 む〜、日本でもアジア諸国との関係や北方領土など多くの国際問題を抱えているが、少なくともカイはこれほど真摯に受け止めたことはない。ちょっと反省。 文章で書くときつい感じがするが、イリーニさんはとにかく純真でストレートな人。なにを言っても嫌味がない。おかげでわれわれも聞きたいことを聞けたし、今の自分たちの生活が「歴史の過去」と同じ時間軸上に存在していることを再認識したのだった。 ◆「第六章 なつかしのドイツ・エッセンへ」に進む。 ◆トルコ・ギリシャ・ドイツ紀行「目次」/◆レポート目次/◆ゲーム日記目次 |